日本人は保守的な民族
日本人は多くの天災に見舞われた島国でもともと臆病な遺伝子が強い。基本的な考え方がネガティブでリスクを取ることや前例と違うことに対する拒否反応が強い。
そのため事業において新しい取り組みをするにも、前例主義や他社が成功している、ここが儲かっていそうだという安全な道を選びがちである。
DXの本質はビジネスモデルの開発
DXというのはデジタル技術を使ったトランスフォーメーションであるが、トランスフォーメーションとは変革である。いままでと異なる価値を顧客に提供するわけで、圧倒的なリードタイム短縮や、圧倒的な顧客価値の向上が求められる。つまり他社とは違ったアプローチが必要なのだが、「他社の成功例」に縋ったアプローチではDXにはならないだろう。
情報産業はハリウッド型の人財が必要
DXを行うには、サラリーマンの組織集団ではなく、一人の天才スターが必要である。デジタルによるサービスの統合は一つのアート作品である。デジタルのアプローチはデザインや顧客体験の統一が必要だ。そのためにはトップダウン型・リーダーシップで末端のサービスまで一貫した設計をすることが大事だ。
しかし日本のサラリーマン組織は集団での合意形成を必要とし、前例主義や他社の成功例を元にするのでアートにはならない。このように前例主義や合議で作られた妥協の産物はUI・顧客体験に一貫性が無いので顧客の満足を得るのは難しい。
日本の大企業型組織では一握りの天才スターに権限を集める組織構造にはなっていない。また純血主義の企業が多く、外部からスタープレイヤーを高い立場で獲得することも行われていない。
日本のサラリーマンは専門知識を持っていない
日本の大企業サラリーマンは大学までの受験勉強で国語算数理科社会は充分に勉強しているが、それで勉強に使う頭のエネルギーを全て消費してしまっている。企業に入ってから自己研鑽や新しいスキルの習得を行う人が非常に少ない。これは長期雇用の弊害で、新しいスキルを付けて目立った行動をするよりも周囲と同調して会社上司の命令に従う方が将来の給料インセンティブが高いためである。
そのため新卒で入った会社員は30歳頃まで下積みの仕事を通じて社内独自ルールを「仕事」として覚えるだけであり、社外に売れるようなポータビリティのあるスキルを習得する機会も無ければ必要も無い。
スキルが無いということは専門知識が無いということである。DXの取り組みに於いてソフトウェアやインターネットの知識は高い次元で必要となるが、スキルの低い人の専門知識では取り組めることのレベルも低い。そのためビジネス書籍にある他社成功事例をコピペして自社の事業プランを書き、非専門家集団の組織に合意を取らなければ行けない。
コピペしている時点で二番煎じであるが、その上取り組みも他社より遅いのでオリジナリティや創意工夫、市場の穴を付くような取り組みが生まれるはずも無く、「DXやってみた」が花開くことは無い。
トップが率先せず、トップが理解しないDX
DXは事業フレームワークの抜本的な顧客視点でのみなおしで、デジタル技術を活用した全社的取り組みである。天才プレイヤーの採用が無理ならトップが率先して行うべきだが、日本企業にそのような兆しが見られない。
なぜかというと理由は二つある。まずトップはサラリーマン社長なので、おそらく「営業」か「開発」の出身であろう。その会社では営業や開発のプロフェッショナルかも知れないが、いまの日本企業で顧客体験を一気通貫で語れるサラリーマン経営者は希少だろう。もちろん彼らも例に漏れずデジタル技術には疎いのでDXの取り組みは五里霧中となるであろう。当然そこに経営者としてのコミットメントは得られない。
もう一つのコミットできない理由は「サラリーマン競争を勝ち上がってきた人間だから」ということである。サラリーマンとして経営者になるためにはあらゆる部門と仲良くなければいけない。特に古参の役員に好かれていないと社長の座には到達できないだろう。社長の座に就くまでには多くの「借り」を作っているのが自然だ。DXはあらゆる業務を顧客視点で一気通貫にデジタル的アプローチで見直すので、「時間がかかること」「コストがかかること」は「デジタル的省略」の対象となる。デジタルで一瞬で終わることを社内の人間組織を使っていては「遅いし高い」から顧客体験が悪くなってしまう。しかし前述の「社内に借りを作っている経営者」がそのようなアプローチができるだろうか?コミットできない理由は明らかである。
終身雇用企業ではDXは無理ゲー
日本は法的に解雇規制が強いわけではないが、戦後高度成長期から続いた「終身雇用の雇用慣習」が色濃く残り、実質的に大胆な部門再編やいわゆるリストラクチャリングは難しい。一般的に大企業では複数の事業分野を抱えているので異動させてでも解雇を避けなければいけない。よほどの会社の危機にならない限り人員整理ができない社会通念なのである。
一般的に人件費は企業コストの3~4割を占める最大の経費だ。DXは決して人減らしではないが、業務をデジタルに見直して顧客視点で抜本的な改革をすれば当然必要の無い部門や組織・人材がでてくることもあるだろう。本来であれば余分な組織は切り離して安く早くすることで顧客価値も高まるのだが、そのようにはならないことは自明だ。
このように日本型終身雇用を行っている会社でDXというのは無理ゲーなのである。
結局「部分DX」
このような無理ゲー的制約条件の中で「DX推進を命じられた特命課長」には同情せざるを得ないが、それでもサラリーマンには「頑張ったアピール」が同情とオマケで必要になってくるものだ。
特命課長の上司部長を納得させつつ、全社DX役員会に上梓しても問題無い企画書にするためには、「部分DX」が最適解になる。「まず一部分からDXを試して、上手く行ったら横展開しましょう」というアプローチである。この「部分DX」はあらゆる面で現在の日本型サラリーマン組織の救世主となっている。
まず「部分DX」なので、行うことが小規模となる。予算は少ないが、トライアンドエラーが許される。このトライアンドエラーは、現在「アジャイル」という言葉で表されている。小さなトライを続けて連続的に改善しながら課題を解決していく手法だ。そのため部分DXで小さなPDCAを回して行くことは「やっている感」を出すためには都合が良い。
次に「部分DX」なので失敗しても元に戻せる。DX化を進めるうちに「この業務は要らない=この人は要らない」となっても、「省いてみてうまく動かないなら元に戻せば良い」というぬるい取り組みが許される。全社で「調達部門をアウトソーシングしましょう」なんて大風呂敷を広げたらその後が大変である。組織を元に戻せないだけでなく、特命課長の将来も脆くも、元に戻せないくらいに崩れ去ってしまう。
関連組織の反発や内部の敵をあぶり出すためにはこのように「部分DXで軽く失敗してみる」というのがサラリーマン組織には必要なのである。
言い訳DX
ここまで書くとおのずと結論はおわかりだろう。最終的に「全社DX役員会」に提出される企画書は「部分DXをやってみましたが、●●の成果が出ました」という明るい未来だ。しかし同時に以下のような推進条件が厳しく付託される。
- 全社DXには●●部門の存在意義に関わるため、進めるには役員会を中心とした大胆なトップダウンでの意思決定が必要。
- ●●事業の既存顧客にとっては新しいDXアプローチは信頼を損ねる行為があり経営トップの判断が必要。
- 営業部門には大胆な組織改革を迫る必要があり、大幅な配置転換が必要。
- 顧客の混乱を招くのでカスタマーサクセス部門に大幅な人員増強が必要。
- DXによる売上変化について経理本部の見解が見通せない。
などの文言である。もう「これ以上現場ではできましぇ~ん」というさじ投げである。
当然、本来トップダウンで全社一丸で行うべきことを特命課長にやらせたのだからこのような結論になることは疑いない。しかし、社長も各部門に「借り」があるのでこのような事を役員会で諮り、「役員皆さんの総意でDXはもう一度再検討する」という結論になるのである。これがだいたい3年おきくらいに繰り返されるであろう。当然ビジネスモデルが変わることは無い。国内大手企業同士の寡占競争になっている業界なら、どの会社も同じであるから大きな問題は無いかも知れない。
以上のようにDXは特に日本の大企業には全くと言って良いほど相性の悪い取り組みである。そのうち全国の小粒な部分DXを集めた「成功例」が経産省から大々的に発表されることだろう。